球史に名刻んだ「ビッグツー」 沢村栄治と王貞治
伝説の人、沢村栄治投手 (京都商)が初めて甲子園に現れたのは1933年の第10回大会だった。
後年、巨人に入り戦前ではプロ屈指の速球投手として鳴らした。この大会ではベスト8で敗退するが、楠本保(明石中)吉田正男(中京商)と並び「ビッグスリー」と高い評価を得ていた。
この3人が投手部門で優秀選手賞に選出され、沢村は翌年の第11回大会でも同じ賞を獲得している。優勝には届かなかったが名投手の片りんは示していた。
春の優勝投手でプロの第一人者になったのは王貞治(早実)で、沢村と並び彼の名も後世語り継がれるだろう。第29回大会も「ビッグスリー」が話題になった。王に加え小松敏宏(高知商)清沢忠彦(岐阜商)はいずれも左腕で、大会前から注目を集めていた。
これほどの大活躍をしながら、巨人に入団してからは打者として大成する。「1本足打法」「フラミンゴ」と表現される特異なフォームで本塁打を量
産。通算868本を記録している。投げても打っても独自の世界を作り上げていた。ソフトバンクの監督として今季がラストイヤーと位置付けた。「早実の王」
から半世紀が過ぎている。 (この項、校名は当時の名称) 【写真】巨人軍時代の沢村栄治投手の投球フォーム。1937年、甲子園で(上)早実のマウンドを死守したサウスポー王貞治投手。1957年夏の甲子園で(下)
王はノーワインドアップ投法という極めて珍しい投球ぶり。米球界でもヤンキースのラーセン投手だけと伝えられていた。王が左の中指と人さし指を裂いての奮闘で握った紫紺の大旗は、大会史上初めて箱根の山を超えたのだった。
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