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ご褒美は夏の「海外見学」 選手権3連覇は“犠牲”に

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今でこそ海外への遠征は珍しくないが、昭和初期では夢のような話だった。1931年(昭和6年)の第8回大会で広島商が優勝し、夏休みの米国遠征が実現し た。4年前から優勝校へ「海外見学」と称した旅行がプレゼントされていたもので、これが大会出場校の大きな励みになっていた。
   
 広島商の鶴岡一人遊撃手も強い願望を秘めていた。中京商(現中京大中京)との決勝戦、2―0とリードしていたが九回に二死満塁のピンチを迎えた。次打者 の遊ゴロで二塁のベースカバーに入った保田直次郎二塁手が「さあ、ここじゃ」と叫び、絶好のトスをした鶴岡は「アメリカじゃ」と一声発したという。

 この鶴岡は後にプロ野球で活躍。南海ホークスの名監督として「親分」の異名で選手から慕われた。その若かりしころの思い出を自著「野球ひとすじ」 で懐かしんでいる。「アメリカ遠征の出発前に、広島在住の外国人家庭でテーブルマナーなどを習った。また、坊主頭だと囚人に間違われるとかで、すそ刈りの 調髪をした。うれしかった」

 心弾む海外旅行だったが広島商の周辺は騒がしかった。2年連続優勝している選手権大会を無視するのか。「3連覇を狙え」の声も強くなる。それでも米国へのあこがれは捨てがたいものだった。夏の地方大会は留守部隊で戦い敗退した。

 妙な巡り合わせになるようだが、第8回大会の決勝で広島商に敗れた中京商は、この夏から選手権大会史上初めての3連覇の偉業を達成する。また、春 の優勝校への「海外見学」は、文部省から出された野球統制訓令の趣旨を受け、この大会で取りやめになっている。主催者からのご褒美が夏の大会に影を落とし ているのが興味深い。

【写真】1965年のパ・ リーグ優勝を決め、記者会見する南海の鶴岡一人監督。68年まで南海一筋に指揮をとり続け、監督として史上最多の通算1773勝を記録した=65年9月26日、大阪球場

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